シンガポール旅行(2019年10月)②シンガポールの光と陰を感じた「シラソビーチ」から「シラソ砦」めぐり

こんにちは、おっさんトラベラーのマーカー(@IDmarker)です。

コロナ禍も自粛解除となりましたが、まだまだ海外旅行に行くことができません。
そのため、過去の海外旅行について皆様に情報提供をさせていただいております。

今回は2019年10月に実施したシンガポール旅行について書き込んでいきたいと思います。
複数回にわたりご案内します。

下記が大まかな旅程です。

日にち旅程 主な訪問地
1日目成田国際空港 1755発(JAL711便)  
2日目020着 チャンギ国際空港シンガポール滞在ホテル周辺散策
3日目 シンガポール滞在セントーサ島観光
4日目チャンギ国際空港 2150発(JAL36便)シンガポール滞在ホテル周辺散策
5日目550着 羽田国際空港  

宿泊ホテル:Wシンガポール セントーサコーヴ 3泊

この回は、3日目のできごとについて書き込んでいきます。

セントーサ島周遊

ホテルのエントランスに立ち寄ってくれるセントーサバスシラソビーチに向かいました。

セントーサバスは、モノレールのビーチ駅エリアを中心にA路線、B路線、C路線があり、主だった観光地を周遊します。無料で利用できるのが嬉しいところです。ちなみにWホテルに立ち寄るバスはBです。

シラソビーチでの出会い

ビーチ駅に到着しました。

ここから、セントーサ島からシンガポール島に渡る場合の手段の一つ、モノレール(セントーサ・エキスプレス)に乗ることができます。

モノレールは、MRT地下鉄「ハーバー・フロント駅」に隣接している「ヴィヴォシティ駅」までを結んでいます。ビーチ駅はその始発駅です。

ちなみに「セントーサ・エキスプレス」はセントーサ島内に途中駅が2つあり(インビア駅及びリゾート・ワールド駅)ます。島内は無料で利用できます。

シラソビーチを歩いていると暑いですが、木陰は涼しくて気持ちいいです。

シラソ砦に向かって、シラソビーチウォークを歩いて向かいます。

海と反対の茂みに池があり、ふと見ると何やら動いているものが。。。

トカゲらしきものが!

私がいても動かずにじっとしていました。セントーサ島は生き物の楽園でもあるのでしょう。

出会ってしまいました。

その時、上を見ると大きな構造物が。

バンジージャンプができる施設のようです。飛んでいる人はいなかったです。

高所恐怖症の私には、縁がないものです。

シラソ砦

迷彩柄の建物が見えてきました。これは、シラソ砦に向かうスカイウォークを結ぶエレベーターです

なんと無料です。エレベーターで上がるとそこには絶景の展望デッキがありました。

スカイウォークの展望デッキ

素晴らしい眺望の展望デッキです。

北側には、対岸にあるシンガポール島を見渡せます。

反対側には、先ほど歩いてきたシラソビーチが見えます。
写真下の建物はケーブルカー(マウント・フェーバー・ライン)のシラソ駅。

ケーブルカーというと、東京の高尾山や奈良の生駒山などにある山の斜面を走っている鉄道のイメージですが、日本でいうロープウェイのような感じです。

スカイウォークとは、展望デッキからシロソ砦へアプローチしている長さ181メートルの橋のことです。

高さが36.3メートルの橋からはシンガポール本島セントーサ島セントーサ島周囲の島々、そしてシロソ砦周辺の緑に生息する野鳥を観測できるとのことです。

実際に素晴らしい景色を満喫しながら歩くことができました。

スカイウォークで歴史を学ぶ

スカイウォークには歴史を説明する案内板が数多く設けられていました。

景色を楽しみながら歴史を学ぶことができます。


日本語の説明があったらよかったです。地図と絵で何となく理解はできますが。。。

シラソ砦とは

シラソ砦は、英国の海峡植民地時代からシンガポール防衛において戦略的に重要な拠点だった砦で、現在は博物館「シロソ砦戦争記念館」として一般解放されています。

実際に使用されていた砲台や当時のシーンを再現した蝋人形歴史資料が展示されています。

シロソ砦の歴史
シンガポール防衛の重要性に気がついた英国は、1879年から砦の建設に着手。
1885年には工事が完成し、シロソ砦と名付けられました。

この時の配備状況は、1個砲兵中隊、人員18名、7インチ砲3門、64ポンド砲2門であり、その任務は西の外洋からケッペル港(シンガポール最大の港)への侵入を阻止することでした。

20世紀に入ると更に砦は拡張され、7インチ砲の替わりに6インチ後装砲2門が配備されました。これは、1915年に発生したインド兵反乱の制圧には大きな役割を果たしました。

また更に、1941年にも6インチ砲2門を含む大砲が増強配備されました。このことから大東亜戦争開戦後の日本軍によるシンガポール攻略時には、日本軍艦艇撃沈や、シロソ砦向かい側にあるプラウ・ブコム島の石油施設破壊にも活躍しました。

シンガポールの英軍が降伏した後、日本領となった砦は捕虜収容所となり、1965年8月まで運営されました。

この砦一帯が歴史的な博物館(シロソ砦戦争記念館)として公開されています。

セントーサ島は以前、マレー語でブラカンマティ(Blakang Mati)=死者の島という名前だったそうです。

その由来はマラリアが流行してしまい、島のほとんどの人が亡くなり、生き残りの元住民がシンガポール島に渡って、ブラカンマティと称するようになったそうです。

シラソ砦めぐり

シラソ砦の施設には、一部は英語や北京語に加えて日本語での解説もあり、日本が大きくかかわった歴史について深く学ぶことができました。

暑いため喉が渇いてきたところでちょうど自動販売機がありました。

日本でもなじみのあるロゴを目にしました。

「販売中」のランプやおつり・返却の表示は日本語です。コインも500円から10円まで使える?

日本にあったものを持ってきたのでしょうか。

監視壕と兵士用の娯楽場の施設です。しっかり残っているんですね。

別の建物の中には、シンガポール日本領だった頃の身分証明書や郵便貯金通帳等が掲示されていました。

当時の新聞も掲示されています。

シラソ岬の砲台

地下壕をくぐると、シラソ岬にでます。

外洋に向かって伸びる砲台に、当時のシンガポール防衛に思いをはせることができました。

日本軍と戦闘の結果、1942年にシンガポールが陥落するまでの歴史が日本語で読むことができます。

シラソ砦は砦としてはこの時に役割を終えました。

サレンダー・チェンバーズ

最後に、「サレンダー・チェンバーズ」という建物に入りました。

これは日本軍がシンガポールを占領してから、第二次世界大戦が終わるまでを展示したスペースです。

この展示スペースがシラソ砦を訪問した中で、一番印象に残りました。

下記の内容が時系列でみることができます。

  • 1942年2月15日に、シンガポール島ブキッティマの旧フォード工場で行われた、「山下・パーシヴァル両司令官の会談」を再現した蝋人形
  • 1945年8月15日に、日本本土の広島・長崎の原爆投下により日本が連合国軍に対して降伏
  • 1945年9月12日に、シティホールで行われた日本軍の降伏文書調印式を再現した蝋人形

実物大の蝋人形が数多く並び、迫力に圧倒されっぱなし。

ある意味トラウマになりそうでした。

写真を残せていなかったのが残念です。

日本軍がシンガポール占領後に、抗日勢力を掃討すると称して起こした虐殺事件(シンガポール華僑粛清事件)と合わせて、日本人として目を背けてはならない現実が目に焼き付きます。

建物の案内のためにいたスタッフから、「日本人ならよくみてくれ」と言われたような気分になりました。

シラソ砦めぐりの、エンディングのふさわしい展示物です。

「セントーサ・モノレール」の幻影

ちなみに「サレンダー・チェンバーズ」砲側弾薬庫の上に建てられた建造物とのこと。

後になって分かったのですが、この建造物はもともと意外な歴史がありました。

2005年までは、「セントーサ・モノレール」「フォート・シロソ駅」の駅舎を利用した建物だったようです。

「セントーサ・モノレール」は、現在ある「セントーサ・エキスプレス」とは別の交通機関で、島のフェリーターミナルから、西側半分を周回して運航していたとのこと。

「セントーサ・モノレール」は2007年開業の「セントーサ・エキスプレス」に入れ替わるように廃止されました。

セントーサ島にフェリーで渡った時代の残り香がここにあります。

まとめ

気分が陽気になる明るいのシラソビーチから、歴史を深く感じさせる重々しいシラソ砦と、この日の午前中だけで内容の濃い経験をすることができまた。

もともと私は、シンガポールが日本に占領されて昭南島と称していた時代の小説、佐々木譲さんの「昭南島に蘭ありや」を読んで、はじめてシンガポールに興味を持ちました。

シンガポール3回目の訪問でしたが、初めてこの国に興味を持ったきっかけとなった、日本占領時代を深く学ぶことができました。

皆様の中で今後シンガポールを訪問される方がおられるようでしたら、ぜひシラソ砦を訪問されてください。

日本人という立場でみると、シンガポールの光の部分だけではなく、陰の部分にも触れることで一層この国の理解を深められるのではないかと思います。

おすすめの施設です。