【ホテル周辺観光】紅葉が映える赤井川村をめぐる~「キロロ トリビュートポートフォリオホテル 北海道」から気軽に行ける「赤井川三滝」と雲海が有名な「カルデラ展望所」、かつて繁栄した「鉱山町」~◆札幌市内&キロロでの秋ステイ(2020年10月)《6》キロロ編③

こんにちは、2021年は海外に行きたいトラベラーのマーカー(@IDmarker)です。

現在、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県を対象として2021年1月7日に発令され、それを皮切りに複数の都府県が追加で同様に緊急事態宣言が行なわれさらに再延長されている状況です。

宣言発令前の2020月10月の8日間に渡り、北海道札幌市内及び余市郡赤井川村でホテルステイしましたので、そのことについて書き込みしていきます

第6回目は、赤井川村の「キロロ トリビュートポートフォリオホテル 北海道」で4日間滞在(3泊)したときのホテル周辺観光です。

今回の旅行にあたっては感染防止のため、密を避けること、マスクの着用及び手洗いやアルコールでの除菌を徹底しております。

なお、「札幌市内&キロロでの秋ステイ(2020年10月)」旅行のうち、キロロ編の前回までの内容については下記をご覧ください。

赤井川三滝めぐり

盤ノ沢滝

盤ノ沢滝には、「キロロ トリビュートポートフォリオホテル 北海道/THE KIRORO, a Tribute Portfolio Hotel, Hokkaido」の向かいにある駐車場から川に向かって下っていきます。

古ぼけた木の看板がありますが、入り口が非常に分かりにくいです。雑草を分け入っていきます。

木で作られた階段があるので下っていきます。

枯葉を踏みしめながら歩いていきます。

下り急斜面が現れます。雨上がりで枯葉の上が滑りやすいので慎重に慎重に・・・

キノコが生えています。

分かりにくいですが、急斜面の上に左側は崖です。油断は禁物です。

見上げるとだいぶ下ってきました。

沢が見えました。もう少しです。

沢まで下り切りました。

やっと滝が見えました。太陽の光が紅葉に照らされてきれいです。

岩石が崩れてこないかちょっと心配。

以前は滝見台のようなものがあったらしいのですが、そのような面影はありません。

滝に近づいてみました。誰もいない静寂に包まれた空間に、水がたたきつける音だけが響きます。

ホテルのそばにこんなところがあるとは感動しました。

振り返って、先ほど下ってきた急こう配の道を今度は上って戻ります。

黄金岩の滝

ホテルの近くにはもう一つの滝があります。マウンセンターに向かう途中に余市川を渡る橋を越えるとすぐ左側に公園へのアプローチがあるので、ここから入っていきます。

屋根が大きな建物があるのが目印です。

歩いていたら「黄金岩の滝」の案内看板がありました。

朝里沢川の方に下っていくと、大きな岩面に3本の水筋が流れているのが見えてきました。

近づいていくと滝とはっきりわかります。

滝から下流に川水が滔々と流れていきます。

滝に近づきます。名前の由来は、夕日を受けるタイミングによっては金色に輝くので「黄金岩の滝」と呼ばれているそうです。

動画も撮ってみました。水が流れる様と音を聞くと心が洗われる気がします。

雷音(ライオン)の滝

赤井川三滝と呼ばれる最後の滝はホテルからは離れています。30分ほど車を走らせます。

国道393号を倶知安方面に向かいます。日が当たるところの紅葉が鮮やかでした。

「道の駅あかいがわ」にある交差点を左折してしばらく走ります。すると左側に白井川上流に沿う未舗装道路「轟(とどろき)林道」が見えたので曲がりました。

林道を走行中には、きれいな水が流れる音が聞こえエンジンを停めたりしました。

砂利道を慎重に走っていくと、「ライオン岩」と呼ばれる大きな岩が見えてきました。

「ライオン岩」のそばにある「雷音(ライオン)橋」を渡ります。

橋の左側に見える渓流状の流れが「雷音(ライオン)の滝」です。名前とはうらはらにおとなしい感じの滝です。

橋の右側を見下ろしたところが激しい流れなので、こちらのほうが滝っぽい感じです。

滝の奥に入っていきます。今でこそ大自然の真っただ中ですが、ここから先は明治時代から戦前まで多くの人が住んでいた地域だったのです。

そこには、轟鉱山という金や銀を採掘していた1000人規模の鉱山町が存在していました。

今は紅葉が美しい自然いっぱいのところにしか見えませんが・・・

轟(とどろき)鉱山跡

轟鉱山とは
轟鉱山は北海道余市郡赤井川村にあった鉱山。北海道で最も古い金鉱山の1つとして知られる。鉱脈が多く、広大で山相が良好なことから、世界にその名を轟かさんとの理由で、「轟鉱山」との名称になったとのこと。半世紀の操業期間に金を約2.6トン、銀を104トン産出しました。

1896(明治29)年、石炭調査の際に、偶然に珪石脈が発見されさらに1898(明治31)年に北海道鉱山が所有した後、次々と鉱脈が発見されました。1921(大正10)年に大鉱脈が発見されると盛況を見せ、1922(大正12)年には北海道初の水力発電所が竣工、精錬所も建設されました。

昭和の戦前期に最盛期に達し、鉱山街の人口は1000人ほどになり、小学校や郵便局、商店、銭湯、宿屋などが作られました。

戦時中の1943(昭和18)年に金鉱山整理の対象となり休山。

戦後、1963(昭和38)年に再開し、細々と採鉱し岩内郡共和町にあった国富鉱山へ送って精錬していたが、国富鉱山が精錬を停止したことで1970(昭和45)年に再び休山。

その後、昭和50年代に金の高騰があったことから1982(昭和57)年に再開するが、高騰は続かず、資源の枯渇もあり1987(昭和62)年に閉山しました。

露天掘り跡、トロッコ、ズリらしき荒地、精錬所跡の石垣、選鉱所跡、西卓越の小学校跡などの遺構が見られるとのこと。

開けたエリアに入ってきました。ここはかつて中越という地域で抗員社宅が広がっていたそうです。当時は小学校、理髪店、郵便受取所、宿舎、商店もある一大集落だったよう。
鉱山最盛期の赤井川村の人口が約3000人で、その内1/3の人々がこのエリアに暮らしていました。

橋を渡った左側には病院があったようです。

橋のたもとの橋銘板を見ると、昭和37年に架けられた様子。

戦後採掘を再開したタイミングに架けられたのだろうか。

林の奥には何か建物が見えます。

近づいてみると、小学校があったところのようです。

この建物は、奉安殿といって、戦前に天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていたものらしい。

昭和18年(1943年)には閉校になったんですね。ちょうど金鉱山整理の対象になり休山となった時期です。休山になったのは、開戦により欧米からの輸入による軍需資材が途絶えると、海外支払い用としての金の必要性が薄まったことが要因のようです。石炭や鉄、銅なんかの鉱山だったらもう少し長く操業していたのでしょう。

さらに道を進むと通行止。

函館本線銀山駅を結んでいた馬車鉄道

先ほど訪問した轟鉱山から採掘された鉱石は、どのように輸送されたのでしょうか。それが分かるものが「道の駅あかいがわ」にあります。画像の銅像の馬車鉄道(馬鉄)がそれです。

上の画像の案内板は、轟鉱山のことしか触れられていませんが、1913年(大正2年)頃に、轟鉱山より前に採掘開始した明治鉱山(銅を産出)から岩内郡共和町にあった国富鉱山製錬所へ鉱石を運搬するため、函館本線銀山駅下まで敷設した約13キロの馬車軌道がスタートのようです。

軌道終点から索道で駅まで鉱石をリレーして貨車に積み込んでいたとのこと。明治鉱山より奥にあった轟鉱山には1917年(大正6年)頃に軌道は延長された模様です。

現在、明治鉱山跡付近はシンガポール企業傘下のトモプレイパークになっていて、自然溢れるキャンプ場が設置されています。

鉱石を運んだという銀山駅にやってきました。

昔は鉱石の輸送で賑わっていたかもしれませんが、今は静かなたたずまいです。

駅は山の中腹にあります。馬鉄を結んでいた索道は急こう配の道沿いにあったのでしょう。

冷水峠(カルデラ展望所)

赤井川村は、赤井川カルデラという約170万〜130万年前には火口の中にあったという町です。その外輪山の一つにあるのが余市町の境にある冷水峠です。

現在は冷水トンネルが開通していて、ほとんどの車はそちらを走りますが、2004(平成16年)の台風18号により国有林がなぎ倒され、赤井川市街地が一望できる展望所が出来上がったとのこと。
晴れた日の早朝には雲海が発生することがあるそうです。

冷水峠を過ぎると車が停められるスペースがあります。

ここが「カルデラ展望所」です。

植林された木が育ち始めています。

赤井川村の市街地を見下ろします。雲海が発生したときにまた来てみたいです。

まとめ

「キロロ トリビュートポートフォリオホテル 北海道/THE KIRORO, a Tribute Portfolio Hotel, Hokkaido」のホテルステイの時に赤井川村を巡ってみました。

3つの滝やカルデラなどの大自然も見どころですが、村の中にはかつて繁栄した鉱山町があったのが、鉱山の閉鎖と共に寂れて今は底も大自然の中に埋もれてしまっているというのが印象的です。

なお、施設等の情報は2020年10月現在ですので、今後変更がある可能性があります。現地を訪問の際は最新の情報を入手の上お出かけください。

最後までお読みいただきありがとうございました。