沖縄旅行(2020年7月)①中城城と中城高原ホテル跡地のいま

こんにちは、おっさんトラベラーのマーカー(@IDmarker)です。

2020年8月15日現在、コロナ禍は終息の気配すら見せません。

それどころか拡大の方向に向かいそうな気配となっています。

その折、沖縄県において非常事態宣言が発令され8月1日から不要不急の外出が規制されています。

今回はその非常事態宣言の前(2020年7月)に実施した沖縄旅行について書き込んでいきたいと思います。
複数回にわたりご案内します。

第一回目は、世界遺産の中城城と廃墟の中城高原ホテルの現状について、書き込みされていただきます。

中城城の概要

中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北と南西にほぼ一直線に伸びた標高150m~170mの石灰岩丘陵上に立地する山城

城は6つの郭からなり城壁は琉球石灰岩で積まれ、南東側は切り立った断崖で北西側には勾配のきつい傾斜面となっており、城内に至るには正門や裏門に面している丘陵尾根沿いしかなく攻守に最適な立地です。

また、グスクからの眺望は風光明媚で、東側に中城湾や太平洋、西側に宜野湾市や東シナ海、北側に勝連半島や読谷方面、南側に与那原や知念半島を見渡すことができ、360度が見渡せる景勝地

琉球王国時代の中城城跡

中城城は14世紀後半に先中城按司が数世代に渡って築き、1440年頃に座喜味城主「読谷山按司:護佐丸」が王府の命令により移ってきて、1458年に自刃するまでの間に、北の郭、三の郭を当時の最高の築城技術で増築したと伝えられています。

護佐丸滅亡後は、一の郭内間切番所中城村役場が置かれ、1945年4月に第二次世界大戦によりその施設が焼失するまで中城村の行政の中心となっていました。

戦後の中城城跡

戦後は県下初の公園として動物園遊園地等が設置され、県民の憩いの場として利用されました。

1972年5月、沖縄の日本復帰に伴い国指定史跡に。2000年12月には世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)に登録。さらに2006年4月には日本城郭協会より「日本100名城」にも選ばれたとのこと。

ペリー提督

1853年、アメリカのペリー提督は、日本の開国をうながすため江戸へ向かう途中に琉球に立ち寄りました。

そのとき中城城跡の視察調査を行い、城の状況を描いた絵図や測量図面等を残していて、400年以上の風雨に耐えた城壁を築いた建築技術の高さに大変驚いたとのことです。

中城城めぐり

※コロナ禍の影響で8月1日から当面の間閉園となっています。訪問される方は下記のリンク先から最新の情報をご確認ください。また、このブログの中城城の紹介を書き込む際も参考にさせていただきました。

https://www.nakagusuku-jo.jp/

右手にあるプレハブの料金所で入場料を支払います。400円でした。

20年前に世界遺産に登録されたんですね。もうそんなに経つのか。

コロナ禍の影響で正門までのカート送迎が禁止になっていました。

細長い中城城の施設の正門(一番奥)まで運んでくれたのに残念です。

暑いので歩く距離が増えるのはこたえます。

スタッフの方からは一番手前の裏門から入るように言われました。

馬場~三の郭

料金所からきつめの坂を上ると芝生が植わった馬場に到着。

小高い展望台のような趣です。

ここからは南側の与那原知念半島が見渡せました。

石垣の組み方はここ三の郭では相方積みという組み方で築造されているようです。

護佐丸の時代に築かれ石を多角形に加工し、互いに噛み合うように積む技法で強度と耐久性に富むとのこと。

北側の山の稜線も見えています。

裏門

ペリー探検隊一行がエジプト式と評した、精巧なアーチ門です。

北の郭

護佐丸長期の籠城に備えて水源を取り込むために増築したとされるのが、ここ北の郭です。

三の郭

後に増築されたため「新城(ミーグスク)」とも呼ばれ、三の郭と同様に相方積みによって築かれたとのこと。

西側に宜野湾市東シナ海を見渡せる。

大井戸(ウフガー)

中城城では井戸が2か所ありそのうちのひとつ。西の郭には「夫婦井戸(ミートゥガー)」があります。

別名番所井戸(バンジュガー)とも呼ばれているそうです

急な階段を下っていきます。

徐々にひんやりしてきます。

今でも水をたたえています。

戻るときの坂がきつい。

二の郭

二の郭の石積み技法は布積み。直方体に加工した石を一段ごとに高さを揃えてブロック状に積み上げる工法。大きな石を積む事で強固に仕上げることができるそう。

ここの石垣は上がることができ、360度の眺望を楽しむことができます。

北側に勝連半島読谷方面が見渡せます。

東側に中城湾太平洋を見渡せます。タンクのようなものが二つある建造物は火力発電所のようです。

南側は与那原知念半島が見渡せました。絶景です。

柵がないので、高所恐怖症の私にとってかなり怖かった。

一の郭

ここから一の郭に入ります。

中城城で最も広いのが、ここ一の郭で正殿があったそう。
後に間切番所が建てられ、廃藩置県後は中城村役場として使用されていたが、沖縄戦で焼失した。

南の郭

南の郭に入る門です。


南の郭には首里グスクを拝む首里遙拝所や神の島・久高島を拝む久高遙拝所など場内には8つの拝所があり、今も拝む人が絶えないそうです。

正門

南西に向けられて建てられた正門は門の上には矢倉が設けられ、
門を挟むように両側に石垣がせり出しており、攻め手を横向きから攻撃できる造りとなっているとのこと。

カンジャーガマ(鍛冶屋跡)

鍛冶を行っていたところとされているが、城のためか集落のためかは不明とのこと。
一説によれば護佐丸が勝連城城主の阿麻和利(あまわり)に備えるために武具を造っていたとも伝えられている。

中城高原ホテル跡地のいま

カンジャーガマから後ろを振り向くと、中城高原ホテル跡地が見えてきました。

解体前中城高原ホテルの画像です。

中城高原ホテル(なかぐすくこうげんホテル)は中城城跡公園内にあったホテル。

1970年代に建設され、わずか数か月間営業したあと休業ののち放棄されました。

その後、40年以上にわたり廃墟として残っていましたが2019年から解体工事が始まったとのこと。

訪問した時は工事はまだ続いているようでしたが、構造物は完全に撤去されたようです。

この中城高原ホテルの跡地(廃墟)はかなり有名のようで、Googleで検索するといくつものサイトがヒットしました。どうも心霊スポット廃墟マニアの聖地としてメジャーのよう。

実際に中城城を訪問した夜、那覇市内の居酒屋で食事をした際お店の人に中城城に行った話をしたら、「廃墟のホテルがあるんですよね」と言われました。

沖縄にお住まいの方からすると、中城城のイメージは世界遺産より廃墟ホテルのほうが強いという印象を受けました。

なぜ開業後数か月で休業した理由については下記のサイトで紹介されています。

https://dailyportalz.jp/kiji/okinawa-hotel-nazo

まとめ

今回は中城城と中城高原ホテルの今というテーマでの書き込みでした。

初めて訪問しましたが、景色が良くお城からは沖縄県内を見渡すことができたのが最高でした。

また、琉球王国のよすがを感じることができたのが良かったです。

中城城の構造物は石垣が中心でしたが、その美しい石垣の組み方にも種類があり郭によっても種類が違ったりすることがわかりました。また、琉球王国の城は城主の住処という意味だけではなく、「御嶽(うたき)」「遙拝所」と呼ばれる信仰の場所があることが独特だと感じた次第です。

中城高原ホテルの廃墟も前から関心がありましたが、解体されて見ることができませんでした。

しかし、琉球王国のよすがをムードを壊すことなくひたることができたので、解体されてよかったかもしれません。

なお、中城城のコロナ対策等の施策は2020年7月現在ですので、今後変更がある可能性があります。現地を訪問の際は最新の情報を入手の上お出かけください。

最後までお読みいただきありがとうございました。